【青き月夜】ミニチュア飾り着物制作記

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2012年 10月 25日

四天王寺経供養舞楽(蘇幕者)

縁の下の舞(=エンノシタノマイ)
上方で行われた「いろはたとえ」の中にある句。無駄骨折り。また、蔭でやっている善行は人目に立たぬ意。四天王寺に、経供養といって、太子殿の庭前で非公開の舞楽を行う行事があり、衆人の眼につかずに舞うところから出た語である。
『摂津名所図絵』の「四天王寺法莚略記」の中の東成郡に、「三月二日未刻、経堂経供養、(中略)此日は震旦国より経論わたりし日なれば、毎年経供養行はる。秋野坊経巻を守護して伶人楽を奏し経堂・太子堂を行道あるなり。太子堂西の庭上にて舞楽ある。これを俗に縁下の舞といふ」…大阪ことば事典・牧村史陽編(講談社学術文庫)より

蘇幕者(そまくしゃ)

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 曲名は、現在の中央アジアのトルファン地方の一種の帽子のことであるといわれ、林邑僧仏哲が伝えた「林邑八楽」の中の一つである。中央アジア地方の民族音楽の一つであるととも考えられる。
 聖徳太子は常は飛鳥と天王寺の間を愛馬「甲斐の黒駒」に乗り往還された。ある秋の候(装束の「蓑」に栗の枯れ葉が付いていることから推察)、大和と河内の境である大和川の亀の瀬で、太子が愛用の洞簫(どうしょう)(中国古代の尺八)をとり、馬上で吹奏された時、一匹の老猿(実は信貴(しぎ)の山神)が現れて、笛の音に合わせて舞ったという。その姿を四天王寺の楽人に命じて作られたものであるという。四天王寺では、この曲の横笛の主奏者が、太子を表す平纓唐冠(ひらえいとうかんむり)をかぶり聖徳太子になぞらえて、舞台横に立って演奏する。特に聖徳太子御愛用の笛と伝える、四天王寺所蔵の「京不見御笛(きょうみずのおふえ)」を借りて吹く慣例が残っている。これを「京不見御笛当役(きょうみずのおすえとうやく)」という。
 四天王寺独特の舞楽として、古来より天王寺楽所の楽家薗家の秘舞として伝承された。…平成24年10月22日経供養舞楽目録解説より

☆このページでも蘇幕者UPしてます〜!
勿論違う写真だよ〜
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by aokitukiyo | 2012-10-25 13:52 | 舞楽


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